内向きで生きるということ

現在、とても忙しく生きている。
かつて、今日のように秋晴れの時には、姉たちを誘って温泉行った。
あるいは、京都に散策。
兄を連れて生駒山系に行った。
だが、今は違う。
毎日、トレーニングとレッスン。
基本的にはそれだけで一日は埋まる。
それぞれに、日に日に変化する自分を感じるほどにモチベーションもあがる。
女子ロッカーで、大勢の女性たちと裸体になると、
自身に筋肉のラインが浮き出ているのがわかる。
自分だけで生きてると、気づきにくいが、他の女性たちと並ぶと違いがわかる。

また、脳内も忙しい。
あの単語、なんていうんだっけ、と言葉が浮かぶと、調べないではいられない。
英単語が、まるで脳内ゲームみたいな仕組みになってることに気づく。
面白さを感じたら、継続はラクチンで、継続しないではいられなくなる。

そこに、ピアノの難曲も入れ込めないか、と日々思案中だ。
面白く感じさえできたら、継続できる。
ただ、トレーニングは5年目。英語も2年越え。
面白さにはその期間が必要だ。

つまり、自身の肉体と脳が、自身の遊び相手になった。
かつて、遊び相手を外に見出していた。
それが、姉なり、兄なり、友人なり。
今、それが、浪費に思える。
ただ、楽しい。

今、生駒山系を遠くに眺めても、ああ行きたい、とは感じない。
視野が内向きになった。
成長こそモチベーションだとすると、次なる不安がある。
成長しなくなった年齢の時、どうするか。
衰退を日々感じる世代になったら、何をモチベーションに生きるのか。

まいいや。そん時、考える。

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