能力という資産
さっそく上野ゼミの仲間に相談した。
「ストーカーの本、アップデート版、書くべきだと思う?」
相手はジェンダー研究の専門家だ。教授だ。
私なりの、どういう人がストーカーになるのか、を語った。
「なるほどーーーっ」
なぜストーカーが殺意を抱くか。それを解説した。
「なるほどおおおっ」
ストーカーにならない男性の特徴も解説した。
「ほんまやぁっ。遙さん、本書き」
ところで、と、互いの老いの愚痴に話題が移った。
私が発見した鍛え方、老いを感じた時からすべき日々の努力法を語った。
「能力は日々失われていく。だから、失いたくない能力があれば、それを毎日する」
「つまりはな、今日できることしか明日もできないんや」と私。
今日しなかったら、やがて消える。
それが能力。
英語も、ピアノも。今日しなかったらやがて跡形もなく消える。
柔軟性も筋力も会話も議論も。今日しなければやがてできなくなる。
「遙さんっ。ストーカーやなく、そっちを書きいいいいっ。そっちがええっ。そっちが売れるっ」
アンチエイジングの本なんか履いて捨てるほどある。
私は若さを求めてるのではなく、ただ、今ある能力を失いたくないのだ。
それを表現する言葉は何だろう。
健康寿命、てな、生ぬるい言葉でもない。
能力資産を減らさないために・・・か・・・。