手におえない女
自分は何者か・・・
それは他者の言葉から知ることができる。
連日の食事会で私に投げかけられた言葉・・
「遙さんの手のおえなさは、兄弟構成からきてるんですね」
後輩であるその人物は私を「手のおえない」と表現した。
私は後輩の面倒を見てきたつもりで、迷惑をかけた記憶がないだけに、ちょっとショックだった。
翌日、ダンスの先生との食事会では、
「ヨーコちゃんは普通の男では手におえないわ」
連日、私を表現する言葉に彼らはそれを選んだ。
そこで、長年共に働いてきた元テレビ局員たちとの食事会で問うた。
「皆、私を手におえないという。皆もそう思って私といるの?」
すると、元ディレクターが言った。
「なぜ、君の横には”猛獣使い”の異名をとったプロデューサーが高齢になってもついてると思う?」
「では、私は皆さんに迷惑をかけてきたの?どんな迷惑を?」と私。
高齢プロデューサーの奥様が、怒った顔で私を睨み、ため息ついてる。それは・・
「なにをわかりきったことを・・」という顔だった。
ディレクターが言った。
「君の世代のタレントやってた女性は、皆、フツーのおばさんになってる。君はどうだ」
「どうなん?」
「君はまだ、目が、ギラギラしてるじゃないか」
目がギラギラして、手におえない女。
それが、どうやら、「私」だ。
「私」は真空状態では誕生しない。「私」のオリジナリティは、他者との摩擦の中で構築される。
そう女性学仲間から習った。
連日の食事会で出会った、「私」だ。