結局、少年にしか見えない
法事だ。
お経を聞きながら、もう終わりか、と思えば、次のお経が始まる。
その度に、新たな絶望を持て余す。
私は、じっとしてるのが、超苦手だ。
斜め後ろに座る甥の手を見る。
屈強な男の手だ。
かつて、幼稚園児の彼を自転車に乗せて走った。
その男の子が、屈強な成人男子となった。
背も私よりずっと高くなり、声も太くなり、筋骨隆々の男になった。
その男が言う。
「よーこおばちゃーーーん」
甥たちは私を憧れ、好きだ。そして怖れ、恐怖まである。
甥たちは私よりずっと屈強になったのに、
彼らの中では私はずっと怖い女なのだ。
生まれて最初に刷り込まれた関係性というのは、実に、永遠だ。
子と親、生徒と先生、そして、甥と私。
法事では、ミニカーで遊び、親指をくわえてた甥たちが、今は親になった。
メガネかけて外車に乗る。
でも、私には奴らの外車が、ミニカーにしか見えない。
関係性の刷り込みというのは、実に不思議だ。
帰り際、ひときわ大きい甥が私に叫ぶ。
「よーこおばちゃん、今日はありがとーーーっ」
それは、運動会を見学に行って、かけっこを見た後にかけられた甥の言葉だった。
屈強でも、私には、運動帽をかぶった少年が手を振ってるようにしか見えなかった。
そんな、法事。