年齢同一性障害

老けない死なない、に挑戦するドキュメンタリーを観た。
50歳の男性はもう、何歳かわからないほど、若い。
でも、どこか、気持ち悪い。

これは、私の目が年齢と固定概念に囚われすぎて、そう映るのか、
ほんとに気持ち悪いのか、判断が難しい。
50歳は50歳らしく見えること、に、あらがってきたじゃないか。
でも、それを成功した男性を、気持ち悪い、と感じる自分はなんだ。
女は女らしく。年増女性は年増らしく。に、抗ってきた。
単に、絶対数の問題だろうか。
将来、何歳かわからない50歳だらけになったとしよう。
それがフツーになる。
そしたら、彼らを「美しい」と思えるのだろうか。

滅私奉公する女性を、「女の鏡」としてきた時代がある。
子育て介護、夫の病気を甲斐甲斐しく見る妻、は、昔、「美しい」とされた。
ボロボロの女が美しく見えたのだ。
でも、現代は違う。「ボロボロやん」と、見える。

ピカピカの高齢者がいたとしよう。
「わ。気持ち悪い」が、今だとしよう。
あっちこっち痛んだフツーの高齢者を「当たり前やん」と感じるのが、今だとしよう。
それが、ピカピカが絶対数になり、あっちこっち痛めてる高齢者が少数になったとしよう。
ピカピカが普通にれば、「当たり前やん」と感じ、
歳相応の高齢者が少数派になれば「ボロボロやん」と感じるだろう。

見え方、は、時代で変わる。
「性同一性障害」という言葉がかつてあった。
自分の性に違和感を覚えた人を障害と位置付けた時代だ。
知人の作家が「年齢同一性障害」という言葉を言った。
その時、合点がいった。
自分の年齢に違和感しか覚えない。年齢と自認に同一性を見出せない。
きっと、私も、年齢同一性障害なんだと思う。
そしてその障害が増えると、それがフツーになる時代がくる。
・・・・くるのだろうか・・・

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